ボランティア・インターンシップTOP > 旅コラム&旅情報 > 特集 > 東日本大震災とネパール大地震、復興支援の今【後編】

旅コラム&旅情報
2018.03.22

東日本大震災とネパール大地震、復興支援の今【後編】

東日本大震災が発生して6年、ネパール大地震が発生して2年が経ちました。「海外ボランティアの旅」はこれまで震災ボランティアツアーを実施する形で、宮城県金華山では2012年から、ネパールパトレ村では2016年から、復興支援に従事してきました。これらの支援を通じて「海外ボランティアの旅」が見てきた被災地の現状を見つめます。

パトレ村の様子

ネパール大地震から2年。遅れる復興

2015年4月25日、首都カトマンズ北西約77km付近ゴルカ郡でマグニチュード7.8の地震が発生。5月12日には、シンドパルチョークでマグニチュード7.3の余震が発生。死者は9,000人以上に上り、住宅など90万棟の建物が崩壊しました。

ネパール震災直後の様子

ネパールの建物の大半は「組み石造り」というレンガ造りのもの。建物が倒壊すると個々のレンガがバラバラに崩れるため、生存できるスペースを生まず、震度4~5弱でも大きな被害を生む危険性をはらんでいました。このような耐震性を考慮しない建物の作りが被害を拡大した要因とされています。

ネパール 震災直後の様子 人力での救出作業

進まぬ復興。背景には政治の混乱が

首都を含めた世界遺産「カトマンズの盆地」もこの震災で甚大な被害を受けました。震災から2年が経った今、観光客の足が戻るほど復旧は進みましたが、観光地や都心部以外の地域の再建は大きく進んでいないと言われています。

倒壊したカトマンズ盆地

2017年4月25日 毎日新聞の記事では次のように書かれています。

政府は被災した約62万世帯に対し、3回に分けて1世帯当たり支援金計30万ルピー(約32万円)を給付する計画だ。だが、復興庁によると、21日時点で第1次給付(5万ルピー)が終わったのは約54万世帯(87%)。2回目以降の支援金は再建中の住宅が耐震検査で合格すれば配られる仕組みだが、第2次給付(15万ルピー)が終わったのはたった4500世帯程度にとどまる。耐震基準の周知が遅れており、地震前と同様、揺れに弱い石積みの家を作ってしまう人も多いという。

復興の遅れから、依然として二次災害も発生しています。2017年3月には大型バスが谷底に転落し、20人以上が亡くなりました。原因は地震で地盤が緩み、もともと舗装されていない道が落石や転落事故を誘発させているからです。

交通網も遮断。道なき道を走らざるを得ない状況に。

なぜこれほどまでに復興が遅れているのか。背景には政治の混乱があります。ネパールは9年前に王政から共和制に移行したばかり。政党間の争いで新しい憲法の制定ができていないまま大災害が発生。復興の対応が遅れている中、首相は2年間で2回代わり、今年1月には復興庁長官も交代。ネパール政府が行政として十分に機能を発揮できていないこと、復興のためのノウハウをほとんどもっていないことが、対応の遅れに繋がっています。

テント村が広がるカトマンズ。一見ビルが多く残っているように見えますが、ほとんどがいつ倒壊してもおかしくない状態でした。

「子どもたちは村の宝」学校の再建を最優先にしてきたパトレ村

主にグルン族が暮らす人口500人ほどの小さな山村、パトレ村。幸い死者は出なかったもののすべての家屋、村唯一の学校までもが倒壊。震災直後は水も電気も止まり、簡易的な住居で雨風を凌ぐ生活が続きました。村人たちは自力でトタンやテントの仮説住宅を作ってから、子どもたちのための学校を最優先に村の再建を進めてきました。

震災直後のパトレ村

「海外ボランティアの旅」の復興支援ボランティアが活動をはじめられたのは村への安全な経路が確保でき、現地の受入体制が整ってから。震災から約1年後のことです。その頃には村に立派な小学校と修復された道路、そしてサッカーグラウンドができていました。

立派な学校が出来上がっていました

サッカーグラウンドは、再建に奔走する大人の陰で行き場を失ってしまった子どもたちの要望を受け、道路修繕のために村で借りたショベルカーを使って作られたもの。少しでも子どもたちの笑顔を取り戻したい、村の大人たちから子どもたちへのプレゼントです。

disaster-relief-2-9.jpg サッカーグラウンド

「海外ボランティアの旅」FOOTRAVELで行った支援活動は、主にグラウンドの整備作業。子どもたちにとって大切な場所であるサッカーグラウンドの、危険な岩や大きな石などを一つ一つどかしていく、地道で人手のいる作業が中心でした。

瓦礫の撤去作業

震災から2年。村人の懸命な復旧作業と、「海外ボランティアの旅」の参加者をはじめ、多くのボランティアの方たちのおかげで、パトレ村は少しずつ、確実に復興への歩みを進めています。瓦礫の撤去作業も進み、村では次なる課題である「仮設住居からの脱却」に向けて家屋の再建に取り掛かっています。

家屋の再建作業へ

パトレ村の方々にとって、日本から来るボランティアは人的・経済的な支援だけでなく、心の支えにもなっています。前述の通り、政治の混乱から政府の支援が被災者に行き届いていない現状があります。先行きの見えない不安を抱える中で、継続して日本からボランティアの方々が来ることは大変心強いことです。特に子どもたちを大切にするパトレ村だからこそ、日本のお兄さんお姉さんと交流し、少しでも子どもたちに笑顔が戻ることが、長い復興活動を続ける活力になります。震災の日が遠のき、メディアでの報道が少なくなっている今だからこそ、「海外ボランティアの旅」はこれからも風カルチャークラブ、地域の支援団体と協力しながら、ネパールへの支援を続けるべきだと考えます。

村から感謝状を受け取る参加者

ネパールで行っている活動

東日本大震災から7年。宮城県金華山、変わりゆく支援のニーズ

宮城県 金華山 東日本大震災 復興支援ボランティア5日間

「東日本大震災とネパール大地震、復興支援の今【前編】」では2012年からボランティアツアーを実施している宮城県 金華山の現状を取り上げました。
東日本大震災とネパール大地震、復興支援の今【前編】